如月さんの指記

2月から始めた、手記ではなくて指記。スマホで書くから。

アリータ:悩ましくあること

アリータ〜バトルエンジェル〜を観た。途中、同志・同胞を煽って乱戦に発展するシーンがあったのだが、あの場面が1番好きだった。闘いの中に自分を見出す主人公のアリータが、躍動感に満ち満ちている様は、ストレス社会を生き抜く方々に是非観てほしいものだ。

そういう私はというと、年度末の急務に日々追われ、頑張っても頑張っても仕事が降ってくる。逆に今まで元請けは何をしていたんだ、と、毎年この時期になると怒り散らしながらパソコンの画面とにらめっこしている。落ち着け、私はバトルエンジェル、戦場に舞い降りた天使、この仕事を捌ききれば、きっと未来は明るいんだから。そんなバトルエンジェル・私は、自覚症状はないのだが、夜中の歯ぎしりが酷いらしい。顎がクッキングパパになる前に、仕事の全てを死留めて平穏を取り戻すか、ちょっといいマウスピースを買うかしなければならない。顎発達しすぎたらウラガンキンみたいになって、バトルエンジェルどころかバトルデーモンになっちゃうからね。当然、前者の方がいいに決まっているが、平穏が、来なかったらどうしようね?愛を取り戻せ〜〜。

話を本編の方へ戻すのだが、アリータの世界観はパンキッシュで、高く浮き上がる空中都市から落とされる廃棄物の山から、女の子の頭部部品を技師兼医師のイドが拾い上げることで物語が始まる。ガラクタの山、旧文明の遺産を漁るという表現は、数々の作品の中で見られる。例えば、スターウォーズなんかがそうだ。ああいったシーンというのは、誰しもの中にある「昔はよかった」精神から来るのだろうか。確かに今でさえ「ガラケーの時はよかった」「ファミコンの頃はよかった」などと耳にするのだから、遠い未来でもそれらは繰り返されるのだろう。

アリータの世界は26世紀。今から500年以上も先のことで、さまざまな進化や革命の後に、人々の多くがサイボーグ化している。アリータは他との差別化を図るためか、映画アバターの青い人種のように、目が大きく描かれている。彼女の脳は十代後半の健全で健康な脳、しかしその心臓は、三百年前の失われたテクノロジーであるという。途中、私は何者か、とイドに問うシーンがある。イドは300年前の、'気'の力を使って闘う戦士だと答えた。分かっちゃうのかよ、と思った。

自分が不確実な存在である物語や、あるいはそうでないものでも、自分は何者か、何のために生きるのか、自問自答や葛藤が必ずある。それはアンドロイドや宇宙人でなくて、我々のような普通に生まれて普通に育っただけの人間だって悩むことなのだから。しかしアリータはそんなにクヨクヨしていなかった。ラムちゃんもびっくりするくらい根明で、純粋で、彼氏が空中都市へ行くためなら(自分の心臓を掴み、差し出しながら)心臓を売ってもいいと言うくらいだ。これが強者の余裕か。悩みなさ過ぎだろ、と思ったが、あるいはアリータ自身が元々そういう性格なのかもしれないな、とも考え直した。最近陰鬱としたものを観過ぎていたのかもわからんね。

しかしながら、作中、彼氏がアリータのことを「こんなに人間らしい人を他に知らない」的なことを言うのだが、人を人たらしめることは、そういった悩みや苦しみがあってこそではないのだろうか、と思った。それがあるからスーパーマンやその他さまざまは、人並み外れた力を手にしても共感や感動を呼ぶのではないか。

だから、私の歯ぎしりを聴いても、どうか、人間味という一言で許していただきたい。