豆を食べるか投げるか
私は2月生まれで、幼稚園の頃の写真を見ると「2がつうまれのおともだち」という文字とともに、鬼のお面をつけた幼少の自分とほか何名かが、ピースサインを真顔で投げている写真が残っている。
豆自体は嫌いではないのだが、節分が2月3日、誕生日が2月2日のため、ほんの1日の差で一個多く豆を口に含むことになる。それこそ、何も考えずに言われるがままピースサインを作っていた幼少期には、一個多く食べられるお得感を噛み締めていたけれども、中学に入った頃には「もう1日か2日遅ければ、一個少なくて済んだのに」と思うようになっていた。豆自体がそこまで好きではないのだろう。
大人になると、節分の豆はどのような決まりで数を食べるのだろうか。
例えば、
① 一の位と十の位の数を足した量。24歳の人ならば2+4=6個。60歳の人ならば6+0=6個。
あるいは、
② 十の位の数+10+一の位の数。24歳の人ならば2+10+4=16個。60歳の人ならば6+10+0=16個。
こんなくだらない計算式を書いていると、結局豆の味や食感をどのように感じているかで勝手に計算式を変えていくのではないかと思う。言ってしまえば、豆が好きかどうか。たくさん食べたければ歳の数だけ食べればいいし、そこまでは食べられないなら②式を用いればいいし、もっと少なくしたいのならば①式を用いれば良い。さらに嫌いな人は多い数から少ない数を引けばいいだろう。積み重ねていく歳を引き算するとは何事かとも思うのだけれども。
私は節分豆を忌み嫌うほどに思い遣ってもいないのだが、ピーナッツアレルギーをもっているてまえ、豆類で肌よりも薄い色のものにはやや警戒してしまう。なんか出たらどうしよう。顔とか口の中とか。みたいな。
願わくば①式くらいで済ませてもらえればと思っている。後期高齢者になるつもりもあまりないので、最高15個くらいで済ませられればと。
ちなみに私の実家では、福は内、と投げた家の中の豆を、回収しながら歳の数だけ食べるという謎の文化があった。取り損ねて隙間に入り込み、一年以上経った豆が発掘されることもしばしばあったため、中学2年生くらいの時から、豆が12個くらい入った小袋を各部屋にそっと置くようになっていた。
これをチラとでも目にした方は、どのような節分を過ごしているだろうか、とある地方では、鬼を外に祓わないという文化もあるらしい。付いている霊をすべてお祓いしたら、守護霊まで居なくなってしまって次の日に交通事故死した人の話を聞いたことがある私からすれば、間違っていないことだと思う。
2月4日には旧正月として、晴れてさえいれば陽の光を一身に浴びるといいらしい。忘れていなければ、試してみたいものだ。