如月さんの指記

2月から始めた、手記ではなくて指記。スマホで書くから。

オアシスとアインクラッド、理想郷などない

タイトルでわかる人はわかる。オアシスはレディプレイヤーワンのVR世界、アインクラッドソードアート・オンラインVR世界だ。

レディプレイヤーワンはスティーブン・スピルバーグ監督が日本のアニメやゲームへの愛を十二分に盛り込んだ映画。最終決戦に臨むシーンでオーバーウォッチというゲームの1キャラクターが駆け込んで行ったのは驚いた。あれって最近のゲームだったような?やったことはないのだが。

個人的に「ガンダムよりマクロスの方が大きいから勝てるんじゃない?20倍くらい大きいよね」と思ったが、国内外の認知度としてガンダムの方が上、と脳に声が響き、全てが完結した。理屈じゃあないんだよ、理屈じゃあ。

ほかにもたくさんのキャラクターが行き来し、壮大なスケールで描かれているので、興味のある人は観てみるといいと思う。

対してソードアート・オンラインは、いわゆるライトノベル小説発祥でアニメ、アニメ映画、各種ゲームへと活躍の場を広げるコンテンツだ。私はどちらかといえばソードアート・オンラインの方が知っている、はずである。アニメ映画に至っては公開の1年前にチケット予約をし、1人で観に行った。一期アニメのみを取り上げれば、電脳世界に囚われた人々が、現実世界に帰るため奮闘する物語である。

 

申し遅れたがこの記事は、どちらかといえばレディプレイヤーワンを観ていない人向けだと思う。なぜならば、私がレディプレイヤーワンをつい最近見たばかりだからである。

レディプレイヤーワンもソードアート・オンラインも、VRゲームであるということは変わりない。しかし、VRの中でもその定義は異なる。

レディプレイヤーワンは、バーチャルリアリティの世界に没入する際、その身体を実際に動かすことでプレイヤーを操作する。つまり歩くならば歩行動作をしなければならないし、振り向くならば首を動かす。対してソードアート・オンラインは、ヘッドマウント型デバイスを装着し、起動コードを口にすると、脳の運動信号が身体に送信されないよう遮断され、ゲーム世界で歩いていても現実世界での身体は寝たままだ。

どちらがいいとは一概に言えない。それぞれ一長一短ではあると思う。レディプレイヤーワンの世界は、現在プレイステーションVRで一部実現されつつある。手を動かすリズムゲームやロボットアームを操作するゲーム、ゾンビを倒すガンシューティングゲームなど様々ある。その長所は運動が出来ること。短所は側から見たら明らかに怪しいこと、俯瞰すれば明らかに恥ずかしいことだ。

私は新宿にあるVR-ZONEというところに遊びに行ったことがある。そこでプレイステーションVRのゲームを体験した。対面する女の子のアバターの顔や手元を見ることはもちろん、ミニスカートの隙間を覗き込む行為までできてしまう。最初は作り込んでるなー、すごい、とあちこち見回したりしていたものの、ふと対面しているバーチャル女子のバーチャルパンティを覗いている体制で、このゲームの体験を順番待ちしている、リアルおっさんやリアル女子の存在を思い出してしまった。なんてこった。思い出したくなかった。リアルが私に襲いかかってくる。普及してしまえばどうということのないことなのかもしれないが、ワイヤレスイヤホンで歩きながら通話している人すら未だに不審な目で追ってしまう私には、自室で引きこもって誰からも干渉されない状態でなければやりたくないと思ってしまった。これって意外に敷居が高い。そしてレディプレイヤーワンの世界では、ゲーム世界でも実世界でも敵に狙われる。しんどいよ。オアシスどころかディストピアじゃないかと思ってしまった。

対してソードアート・オンラインは横たわっているだけなので、そうそう怪しさを感じさせない。頭に変なもん着けている時点で十分怪しいじゃないか、というならばぐうの音も出ないが、その点だけ覚えてさえいれば、無意識中に変な動作を見られることはない。バーチャルパンティを覗いているの図、とか。

短所があるならば、アニメ一期の設定のような状況だ。ヘッドマウント型デバイスを装着し、開発側がハッキング。ゲーム内からログアウトできなくし、ゲーム内で死亡すれば脳をレンチンされて死。外部からデバイスを無理に外そうとすると、脳の信号が二度と身体に届かなくなり死。本気のデスゲームと化した上に、食事が取れなくなり、ゲーム参加者全員が実世界では病棟にて管理される植物状態となってしまうことだ。あるいは、ゲームに没入しすぎて食事や睡眠、運動をまともに取らなくなり、場合によっては餓死するものも出るという。

ソードアート・オンラインのアニメ二期以降とレディプレイヤーワンは、操作性こそ違うもののよく似ている。現実世界に生きない人がいること、リアルしか現実でないこと。どうしても数値化できない情報がリアルにはまだあり、いつかバーチャルと遜色なくなってしまっても、生きていることで繋がるものがある。絆と呼んだり、精神的に、と言ったりしていた。結局現実からは逃げられないのだ。ゲームの中にいたとしても。

ドローンのように、普及してから法整備が必要になる場合も起きるかもしれない。しかしまず、ゲームということの前に、人と人とが関わることを覚えておく必要がある。ゲーム内だろうと会社内だろうと、辛さも楽しさも変わらないだろうね。理想郷などないよ、作らなければ。